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vivere

素の自分を軽やかに生きることを応援するライフコンサルタントです

氏神さま

スピリチュアル

すべてのものに「かみさま」がいて、いろいろなところから、わたしたちを見守ってくれている。

地域限定で、その地域に住んでいる人や地域にあるものを重点的に見守ってくれている、地域代表であるところのかみさまと交信しやすい神社が「氏神さま」だと思います。

神社や寺のある場所は?

神社や寺が各所にありますが、そこはかみさまの家なのか?

ほんとうにそのすべての場所にかみさまは住んでいるのか?

これは、ちいさいころからのわたしの疑問です。

 

神社や寺の敷地内だと、かみさまや妖精・精霊みたいな存在の形や気配が感じやすくなることから、何らかの効果がある場所であると思っていますが、神社や寺にかみさまが「住んでいる」という確証を抱くには至っていません。

そのため、神社は「かみさま」と、寺は「準かみさま(ご先祖さまや徳を積んだ方など元人間であった存在)」と交信するための空間だと、わたしは認識しています。

 

神社や寺の敷地の中は、呪い(まじない)で満たされていることも多いです。

周辺の山や森との位置関係、建物の配置、文様、色。

その場でお参りする人達の思いが積み重なったもの。

そのすべての効果により、この現実世界とかみさまの世界との境界が、他の場所よりも不明瞭になっており、幾層にも世界が重なっているように感じられます。

 

神社や寺の敷地内では、どの場所にもかみさまは姿を見せやすくなっており、ときにはヒトと重なるように在るときも。気配などに敏感な人は、かみさまがそこに在ることを感じるときもあるでしょう。

けれど、ヒトは、かみさまの姿を直接みることができません。

自然そのもの(山、滝、石、樹木など)がご神体であるとき、かみさまのいる場所はヒトにもイメージしやすく、目でもわかりやすい。かみさまという象徴的概念に対して祈りをささげるとき、ヒトがかみさまの居場所がわかりやすいように「ここに入ってくださいね」と鏡などをおいて、その場所で祈るようになったのではないでしょうか。

 

かみさまへの祈り

かみさまに祈るとき、心に思うだけでなく、声にして表に出したい。

ひとりごとは、ことばが自分の内側だけで終わり、内側にとどまって外に見えないので祈りの内容を確認することは難しい。

誰かに向かって話すと、ことばが外にでてくることで、相手(この場合はかみさま)にも自分の耳にも言葉が届く。

 

かみさまは、すべてのもののなかにいて、当然、ひとの内側にもいる。

祈りを声にするとき、かみさまへの思いは、神にも自分のうちなる神(素のじぶん?自分の本質)にも思いを届けることができる。

 

お祈りの作法を教わった方によると、

・かみさまに呼びかけてから、声に出して祈ること

 人と話す時も、「〇〇さん」と呼び掛けてから話しますよね。

・かみさまには自分がどこのだれかを伝えること

 人間はたくさん、この世にいます。だれの祈りかを明確にして、神様に伝えると聞こえやすくなるそうです。

 そのために、自分の名前と住所をこっそりとつぶやくこと。住所を伝えることで、どこに住んでいる人間の祈りであるのか、神様が見つけやすくなるそうです。

・月に1回は、ちゃんとお祈りしてみる

かみさまにまめにお話しすることで、かみさまとの距離が近づくそうです。こちらからも、かみさまの言葉を聞き取りやすくなるそう。

地域代表のかみさま 氏神

その場所(土地,地域)の影響をもっとも有効に活用しているのが、地域代表のかみさまである氏神様。氏神様は、その地域の土地に暮らすひとたちと足元(地面)でつながって、力を分けてくれたり、代々の記憶や他次元にいるおおきな存在との橋渡しをしてくれたりしている存在。

 

氏神様に祈ることは、地面に祈りを向けることと同じ意味かもしれない。地面に祈りを向けることで、自分が大地に在ることを感じやすくなる。

 

大地は、植物を育てる。植物は芽吹き、育ち、やがて枯れる。そして、また落ちた種から次の世代が芽吹き、育ち、やがて枯れる。それが何代も繰り返されて、命は同じように繰り返されている。けれども、同じ命は二度とはない。その命たちの記憶を、間接的に記録しているものが大地だ。

人間も同じこと。

この地上に生まれ、育ち、やがて死ぬ。それが何代も何代も代々繰り返されて、この世が出来上がっていて、繰り返される人の営みは同じに見えて同じものはふたつとない。そして、代々の記憶や願いは大地に記録される。その記録は、氏神様を通していまのわたしたちに伝えられているのではないだろうか。

グラウンディング氏神

氏神様に祈ることは、その土地に生き、代々繰り返されたたくさんの命の記憶に敬意を表することにつながる。そして、代々繰り返された命のその先に、今ここに在るわたしがあるということを確認することは、グラウンディングにつながると感じている。

グラウンディングとは? :今、確かにここに在る、わたしという存在の確かさ。自分の軸(自分にもどってこられるための目印)がそこにあることを再確認する作業のこと。

 

その土地に生きることを氏神様に報告し、氏神様へ祈りを向けることは、これまで自分という存在にたどり着くまでに重ねられてきた代々の命に思いを向けること。

氏神様へ祈りを向けるたびに、自分の軸の在り方を再確認していれば、常に自分の在り方を微修正していける。自分の状態が、外からの情報によって揺らぐことはあっても、自分の軸に戻ることができることを信頼できるようになる。

そういう意味でも、氏神様への月1回のお参りを習慣にしておくといいのかもしれないと思ったのでした。

 

…というのが、わたしの感じている氏神様のイメージです。神道仏教などの信仰から見たら、かなりいい加減なところもあるはずですが、そこはご容赦くださいませ。