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vivere

素の自分を軽やかに生きることを応援するライフコンサルタントです

自分の作った苦しい思いに溺れてしまったとき

こころの取り扱い

いまをいきることが、どうにも苦しくて。

出家しようと思いつめ、電車で半日離れた修道院に行こうとしたことがあります。

そのときにかけてもらった、2つのことばが印象に残っています。

 

自分は、自分から逃げることはできないということ。

ひどく見える今の状況が、ひかりになるからと祈ってくれる方が少なくとも一人はいたということ。

それの事実に納得して、結局、家に戻った。10年ほど前のお話し。

応援してくれる存在に気づいたら元気になった

応援してくれた人 修道女さん

出家しようとおもって、どうして修道院を見つけたのか。

なぜ、修道院に行く途中に電車内でであった修道女さんに声かけられたのか。

状況として、まったく記憶にないのだけれども。

修道女さんに伝えていただいたことばは、つぎのこと。

 

修道院に入っても、どこへいっても、あなた自身からは逃げられませんから、今の苦しみをなくすことはおそらくできません。

神は、乗り越えられると信じた人に試練を与えます。それを乗り越えようとした経験はきっとあなたの光となります。

一度戻って、自分を見つめて。どうしても無理だと感じたら、またいらっしゃい。けれども、わたしはあなたが乗り越えられると信じているし、そうできるよう願っています。

応援してくれた人 勉強会のご婦人

ちょうど、そのころ宗教曲を歌っていたご縁で、

キリスト教の教えを受けていらした方々とお話しする機会が週1回はあった。

修道院に行こうとしたけれど戻ってきた話を、そのときにふとしたら、翌週、年配の女性の信者さんから、写真集をいただいた。

 

「夜も昼のように」

いま、ひとには苦しい夜の時代だとしか思えないときがきていても、

神の目で見ると、十分に明るく、昼のように。行く先の光が見えている。

だから、あなたも。自分のいる場所で、自分を生きることをあきらめないで。と伝えられました。

夜も昼のように

夜も昼のように

 

 

少なくとも、二人はわたしを応援してくれる

電車でであった修道女さんと、写真集をくださった女性。おふたり。

このおふたりは少なくとも、わたしがわたしを生きることを強く願ってくれている。

応援してくれるひとがいる。

だから、自分はじぶんをいきるしか道はないんだな。

そう納得したとき、少しずつ気力が出てきました。

 

気力が出てくると不思議なもので。

応援してくれてるひとは、二人だけじゃなかったな。

家族も、友人も、職場の同僚も先輩も、関係する人達がそれぞれ。

いろいろなかたちで、わたしを応援してくれているんだな。

そのことが、見え始めました。

自分の作った苦しい思いに溺れてしまったときは

自分がとても苦しく、迷いがちになってしまっているときには、だれかが応援してくれている、そのことも見えづらくなってしまいます。

そんなとき、ひとりでも応援してくれるひとがいることを思い出せれば、周りを見渡すゆとりもでき。元気が湧いてくるのではないでしょうか。

応援してくれていることに気付いたら、なんとかその声に応えたくて無理をしてしまいそうになるかもしれません。けれども、応援してくれているのは「あなた自身のまぎれもない元気」ということ。

自分のペースで。少しずつ。元気を出して行ければ、いいのではないでしょうか。

 

いまも、手元には写真集が残っていますが、その後、修道院へは行っていません。