夏に見る夢2
小さいころから、夏に見る夢がある。
数夜連続(たまに、あいだ2-3日あくことも)で、
最終夜はダイジェスト版。数夜分の夢を1夜で連続してみる。
その後、今年も夢が完結した。
同じ夢をやはりみていたのだけれども、いつもの登場人物としての視点のほか、
無事を願って、夢の中で会う人たちの苦しみが軽くなりますようにと願いながら、最後に亡くなってしまうまでをみた。
今年は、夏バテしなかった。
ちょうど、低空飛行の機銃に追いかけまわされるシーンを見ることには、スイカときゅうりでしのぐ数日がやってくるのだけれども。
まったく、いつもどおり。
見たシーンは同じで。死んでいったわたしの無事も、こどもの無事も願っていたのだけれども、結末が変わることはなかった。
夢分析してみた
夢分析では、出てきた形やモノに重きを置かず、感情に着目していく手法があるそうだ。夢の中に出てきた事柄を、その時に感じた感情だけに置き換えてみるそうな。
その手法に基づいて、始まりの夢と続きの夢を分析してみた。
<はじまり>の夢を分析してみよう
わたしは、自由を奪われたと感じ、悲しさと寂しさの先に、あきらめをみた。
一方で、何かを生み出したいと思った。
自分がこのような感情を抱く事象は、「わたしが女性であることに持っている違和感」ではないだろうか。それなのに、「女性であることを願っている」。
そして、分離し相反する思いをもったまま、その思いは継続する。
⇒ この解釈は、まだ何となく自分で納得いくようにおもう。
<続き>の夢を分析してみよう
気持ちいい。自分はいろいろなものをひきつれて身動きがとりづらいけど、それを手放す気はなく、心地いいと感じている。
焦っているのだけれど、まだ少し安心している部分も持っている。恐怖がやってくるけど、希望を捨てていない。
左わき腹に痛みを感じ、ほっとしている。引き連れていたものをおいて、ほっとしている。
この感情のつながりをどうしよう?
なにか執着していることがあれこれあるのだけれど、それを心地いいと感じている。
そのうち、焦ったり恐怖したりするのだけれども、未来が良くなると信じている。
自分が痛いことと、終着を話す正当な理由ができたことにほっとする。
⇒ なにを心地いいと思っているか。何を、手放したかったのか。
自分で直感的に出てくるのは、先祖代々の呪いのイメージ。
なぜ、呪い(のろい)かわからなけど、呪いを手放す正当な理由が出てほっとする。そんなイメージかな。
でも、結局残ったわたしの思い
あれこれ、分析して。どんな思いが入っているかを見てみることも、ときには要るかもしれないけれども。
映画か小説の中のイメージのようにとらえてみたら。
すべてが平穏で居られますように。
その思いが一番強く残った。
これからも、何度も同じ夢を夏になるたびに見続けるかもしれない。
それでも、これからは子供の無事だけではなく、撃たれていったわたしの無事も一緒に願い続けると思う。
ここにある、すべてが平穏で居られますように。
望む環境で、みなが過ごしてゆけますように