VIVERE

素の自分を軽やかに生きることを応援するライフワークコンサルタントです

こころを抱きしめる(大切に扱う)

悲しい、つらい。その気持ちがあるとき。

はやくげんきになりたくて、楽しくいようとこころがけることもある。

けれども、どうしても「悲しい、つらい」気持ちから抜け出せないとき。自分で納得がいくまで「悲しい、つらい」気持ちを抱きしめていくことが、じぶんのげんきを取り戻せる秘訣かもしれないと思います。

 

あなた自身ではない、だれかが悲しい気持ちに苦しんでいるとき。

そのひとのそばにいて、いつか「自分で悲しみの中から立ち上がることができる」ことを信じてあげること。それも、援助のかたちのひとつなのではないでしょうか。

 

わたしの体験から

※ここでは流産の体験を書いてあります。読むのはちょっと無理。って思う方は、次の見出し「こころを抱きしめる(大切に扱う)時間を持つということ」から読んでいただいても、話はつながります。

不妊治療中に流産の経験も数度した。
生れ出るまでに至らず、まだ法律的に「人」となるより前(12週未満)のいのち。
確かにそこにいるとわかったのに、生まれる日も知ったのに。

どうして、いなくなったのか?

自分の過ごし方のせいで会えなかったのか。なぜ?なぜ?

自分を責めること、いなくなってしまった子にかける執着のような思い。

 

自分はまだ産んでない。産んだ後に子供を亡くしたわけではない…だから、これほど悲しむ・苦しむ資格がない。

もっと週数が進んでから流れたわけではなく、まだ12週に足りない。だから、これは自然淘汰。生物学上、仕方のないこと。…だから、これほど悲しく苦しい気持ちを持つ資格はわたしにはない。

そんな思いにまみれて、なんだかぐじゃぐじゃになった時もあった。そして、そのぐじゃぐじゃした気持ちを抱えきれず、仕事に没頭していました。

そして、仕事にひと段落つくたびに、苦しみがまた浮かび上がってきてしまい、ぐじゃぐじゃな思いを持て余し、とても不安定な状態もありました。

そのとき、友人がかけてくれたことばがうれしかったです。

「あなたの悲しみの感情は、確かにそこにある。悲しんでもよい資格があるかどうか、ではなく。その悲しみを抱きしめて、悲しめるだけ悲しむことが先なんじゃない?」

 

そのことばのおかげで、少しずつ悲しい気持ちと折り合いがつくようになりました。そのときに泣けるだけ泣いて。そのあとも、時折、また思い出したように悲しんで泣いて。

悲しんで泣くことを繰り返すうちに、少しずつこころのなかに、その悲しみの置き場ができてきました。「悲しみ」は確かにそこにあるのですが、その気持ちの置き場が決まると、「もう大丈夫だ」と思えるようになりました。

 

わたしがその時聞いていた音楽が Lascia ch'io pianga(私を泣かせてください)。
涙ながるるままに と訳されることもある歌です。

Lascia ch'io pianga - Sonya Yoncheva - YouTube

以前は、これを聞くと悲しみを思い出して苦しくなっていたのですが、いまは、「悲しみ」がちくんとこころの中で動きますが、穏やかに聞くことができるようになりました。

 

こころを抱きしめる(大切に扱う)時間を持つということ

ネガティブだといわれる感情(悲しみなど)をなかったことにして、仕事や日常の忙しさに埋めていってしまうと、その傷は根深くなっていくように感じます。

だからこそ、ネガティブだといわれる感情(悲しみなど)を、じっと抱きしめ大切に感じる時間を大切にしたいと、思えるようになりました。

音楽を聴いたり、きれいな景色を眺めたりするなかで、じぶんのこころを抱きしめていく時間をとることで、ネガティブだといわれる感情(悲しみなど)も自分の中に落ち着き先を作っていけます。

 

ネガティブだといわれる感情(悲しみなど)を抱きしめることがつらいとき

自分以外の人に話すことで少し、思いが整理されることもあります。話すことは、思いを「放す」ことにもつながります。

あなたのネガティブだといわれる感情(悲しみなど)や体験を話してもいいかな、とあなたが思うことのできる、信頼できる家族や知人、カウンセラーなどを相手に、お話ししてみてはいかがでしょう。

 

あなたの感情は、あなた自身であり、あなたの魂(人生)の彩です。

大切に大切に。大事に関わっていきませんか。