遠慮する気持ち
美しくありたい思いに、遠慮があるのです。
だから、「きれいになったね」「かわいいね」「美しいよ」といわれると。
いえいえ。わたしなんて…
せっかくほめていただいた言葉を、丁重にご遠慮してしまうのです(笑)
遠慮する理由は、「まだ、こころの癖が治らなくて暗く沈むときがあるから」。
だから、美しいといわれても、その状態を持続できる自身ももてないし。そもそも、その瞬間がきれいであったということが、見間違いなのではないかと思ってしまうので。
暗い気持ちを持て余してしまう自分。そんな自分が「美しくありたい」なんて、不相応な(似つかわしくない)思いなのではないか。
わたし本人の思いに着目するなら、そんな風なことになってしまうのですが。
「きれいになったね」とせっかく声を出してくれた人の思いを考えると、わたしは「遠慮してる場合ではない」のです。
声に出してほめてくれた人の思いを考えると、最高の笑顔で受け取る以外に相手に対する最大のお礼になりづらいのではないかと、思いついてしまったのです。
わたしに「きれいだ」と言わなくても別にその人は困らない、でも、声にしてわざわざ伝えてくれた。
こころに思い浮かべるだけなら、その人の中だけで完結する出来事を、わざわざ、声に出して私に伝えてくれた。
そのあいての労力?思いやり?に対して、わたしは、ありがとうを言いたいのです。
ありがとうをいいながら、でも、もらったものを返されたら。がっかりするんじゃないかな?
だから、「ありがとう」といって、伝えてもらえたことを自分のものとして受け取ること。最高の笑顔でうけとること。
それが、声に出して伝えた方へのお礼につながるのではないかと思えるようになりました。
だから、遠慮はしないように気を付けます。
遠慮する癖が出てしまったら、すぐに修正します。
どんどん、わたしをほめてください。お待ちしてます。
また、わたしと同じように遠慮してしまう方もいらっしゃると思います。
伝えたいと思った側は、「いえいえ、わたしなんて」とあいてに受け取ってもらえなくても伝えることをあきらめないでください。そのうち、受け取れるときが来るはずなので。
伝えられてもつい遠慮してしまう側のかたは、「ありがとう」って笑顔で受け取れる練習をしてみませんか。はじめは、タイミング合わないかもしれないし、こころがこもりづらいかもしれない。でも、練習するうちに、受け取れるようになる瞬間が少しずつ増えていくはず。
いっしょに、がんばってみましょ。
水の粒がないと虹は見られないから。水あることもたいせつ。